セカンドキャリアへの旅路(28)残りの人生の最初の一歩
おはようございます、ますみです🤗
突然ですが。
今年は出来る限りコネクション・プラクティスとNVCを伝える活動をしていこう、と考えております。日本全国動きますので、興味や必要性を感じたら、ぜひご連絡ください☺️
前回まで
帰国後、会社で待っていたのは、取引先からの苦情処理。
粗利の2/3に関わる仕事だけに冷や汗が流れた。
取引先の抱えている状況や思いを聞き、対策に乗り出す。
ビジネスパートナーのTさんにお見舞いに行く。
Tさんは、打ちひしがれた様子だった。
Tさんの嘆きの奥にある、生きたい、という気持ちを聞き続ける。
いつの間にか、僕らは今後のことを笑いながら語りあっていた。
そして、僕はTさんの家を後にしたんだ。
新年度
その後の僕は、多忙を極めた。
日々の業務に加え、取引先への人の手配や面談。
Tさんがやっていた仕事の引き継ぎ。
社内の体制の変更など、多くの重要な案件が降ってきた。
そのどれもが、対応を間違うと致命傷になる。
ひとつひとつ、時間を掛けざるを得ない。
この頃から、ボランティアで受けていたものは全て参加できなくなっていた。
参加しないという意思決定をしたわけではない。
完全に思考から追いやられていた。
迎えた4月。
取引先への代わりの人員は見つからなかった。
「教育で対応させてください」
とお願いして、研修することになった。
別の人達にも同様の研修をする予定があったため、
「せっかくなのでいっしょにやりませんか?」
とオファーしたところ、OKをもらえた。
研修で成果が出れば、まだつながる。
ひとつひとつ乗り越えていこう、と、腕まくりして研修プランに取り掛かる。
訃報
研修の準備をすすめる僕に、Tさんから電話。
電話に出ると、Tさんの奥さんだった。
「昨日、Tが息を引き取りました。」
目の前が一瞬暗くなる。
今、何を聞いた?と、自分に何度も問い直す。
奥さんから、僕らが最後に別れた後からのこと、昨日のこと、そして、今後のお通夜や葬儀の話を聞いていた。
電話が切れた。
糸が切れたような凧のような、何かから自由になったような、それでいて、もう二度と戻れない日々へ思わず手を伸ばしてしまうような、引き裂かれる自分を感じる。
社員にTさんが亡くなったことを伝える。
みんな驚いたようだった。
それもそのはずで、Tさんの体調が悪くて検査したのが12月。黄疸とわかって入院したのが1月。ガンの宣告を受けたのが2月。そして、4月に亡くなった。
年齢もまだ50代。
何もかも早すぎた。
会うといつも「申し訳ない」と言っていたTさん。
僕は本当は、いつだって、何があったって、「ありがとう」と、心から言い合える関係性が欲しかった。申し訳無さや、これ以上迷惑をかけたくない、といった気持ちから行動するのではなく。自分の生命を生き切るために、お互いが生命を生き切ることに貢献しあおうとする気持ちから人と関わりたい。
新たな指針を得た感謝と共に、Tさんの葬儀に参加。
ご遺族からは、逆に勇気づけられて帰ってきた。
次に控えているのは研修だ。
いつだって僕の全力でやっていこう。
その決意と共に、研修を迎えたんだ。
次号に続く。